関東ウェーブの会2019年度11月例会(112日土曜日)報告

 

今回は事務局員も含めて17名の方々が参加されました。

主に2つの話題を中心にして、意見交換を行いました。いつもより取り上げた話題が少ない分、一つ一つの話題を丁寧に取り上げることができたように思います。

最後に、運営交流会に向けた事務局からの趣旨を簡単に説明させていただき、参加者の皆さんからご意見をいただきました。

 

話題1:【双極性障害とアルコール摂取について】

話題2:【病気をどうやって受け入れて生活しているのか?そのコツなど】

話題3:【運営交流会に向けて】

 

話題1:【双極性障害とアルコール摂取について】

 

○提案者:先日医者が変わった。前の先生が酒を自分でそれ以上飲まない自信があるのだったら一杯ならいいと言ってた。リーマス、エビリファイ、セロクエル、ルネスタを処方されている。酒は自己責任。今服用している薬は酒に合わない。

 

挙手でお聞きした

*アルコール依存、又はそれに近い状態の人は、参加者の中でどれくらいいるか?

1

 

*アルコールでやらかした、躁でやらかすことがもっと増えた、と思った参加者はどれくらいいるか?

5人ぐらい

 

・体調との相性が合わない

 

・お酒は全然飲めない。

 

・今まで数えてみると精神科の先生は7人、誰からも飲むなと一言も言われない。アルコール飲むとうつ状態になりやすい。自分ルールで2杯までと決めている。周りに合わせるためにすごいちょびちょび飲むようにしている。

 

・アルコール自体は気分を上げる作用があるけど、アセトアルデヒドの影響でうつ転する。

 

・心のブレーキを外してしまう。

 

・私も主治医からお酒は飲まないようにとは一度も言われたことないけど、好きでも嫌いでもない。うつ状態のときの方が圧倒的につらいので、気分を上げるために飲むことはある。薬の影響を助長したらいけないということで1杯と決めている。

 

・アルコールに弱い。5回急性アルコール中毒で救急車に運ばれた。倒れるまで飲んじゃう。お酒やめようとしたけど、やめると眠れなくなる。お酒をやめるために入院したいと主治医に頼んだ。

 

・一番最初に診断されてその場で入院になった。退院するときに、ビール飲んでいいですか?と聞いたらOKもらって、そんなに病気に影響はないのかなと思った。あんまり気にせず飲んでた。あるときから躁転したときにジプレキサを出されて、アルコールと煙草がダメになった。お薬手帳を見ると、リーマス、デパケンには書いてないけどジプレキサには駄目と書いてあった。ジプレキサをやめた後に転院した後の医者に聞いたら、基本的には飲んではいけないと言われた。1杯弱ぐらい飲むようにしている。

 

GABA 睡眠薬と同時には、お酒は良くない

 

・お酒は眠りを浅くする

 

・アルコールフリーにしたら深い睡眠が増えた

 

・私もあんまりアルコールを飲めない。少しなら気分が上がるなら、いいですと説明を受けている。

 

・躁転していると、毎晩飲んでしまう。医者にはそれは駄目と言われている。薬と一緒に飲んでしまう。

 

・お酒に関わるエピソードがほとんどない。大酒飲みで酔っ払わない。それで酔って躁になったとき、うつになったときということはない。

 

・薬とも飲み合わせに気をつける。記憶を無くすほど飲むとか気をつける方がいい。中島らもが破滅的に飲んで亡くなってしまった。1杯だけ。

 

・提案者が制限されているのは、歯止めが効かないからなのか、薬との掛け合わせの問題なのか?躁うつ病とアルコール依存は密接につながっている。

 

・アルコールは飲まない。医者に一切言われたことない。

 

・エビリファイ飲んでいるけど医者からは特に言われてない。昔よりは弱くなったから、気持ち悪くならない程度、ビール3杯程度。

 

・原則飲まない。強くない。初めてうつ状態で病院行って睡眠導入剤出されたときに、お酒は一切飲まないでねと言われた。不安障害が悪化して、お酒で楽しくなれるかと思ったが、睡眠導入剤と飲んだら気持ち悪くなった。

 

・最初にかかったところでは、結構たくさん飲むことありますと言ったら、薬を飲んで30分以内でなければストレス溜めないで飲むほうが良いと言われた。ものすごく飲み歩きながらの後に受診したときに躁だったので、アルコールというより飲み歩く習慣、出費は控えろと言われた。

 

1升以上飲んだの2回。プロポーズしたとき相手のお父さんが、1升飲まないと娘さんをくれなかった。合成酒、悪酔いする酒を登山したとき山小屋で飲んだ。

関東ウェーブの会の歴史でいうと掲示板のオフ会から、飲み会として始まった。他の会から、あなたの会はお酒飲んで良いんですか?のように言われたことがある。学術的にどうなのか、とやったことはない。これに関係する研究論文があったら是非今後連絡して欲しい。添付文書にはどう書いてあるか。

 

・クエチアピンとジプレキサについては、控えてくださいとしっかり書いてある。

 

1人飲みは避けたほうがいいけど、嗜好品は無理して控えないほうがいいと医者に言われている

 

・関東ウェーブでどう考えているのか、躁転の程度によっては自己規制できなくなる。迷惑をかける。躁のときの飲酒を控えた方がいい。アルコール依存の方が飲むのはお断りしている。

 

○提案者:色々お聞きできて良かった

 

 

話題2:【病気をどうやって受け入れて生活しているのか?そのコツなど】

 

○提案者:うつ病と不安障害でずっと診断されてきたけど、それが落ち着いて断薬をして、1年前ぐらいに躁うつと診断された。どうやって受け入れて生活しているのか。理解されないで離れていく友達がいる。相当不安になっている。おおもとの性格は変わった方がいい。今までの病気じゃなかった自分として生きていく方がいい。

 

・躁うつ病と診断されても自分は違うと思ってた。僕は病人だと思うようになった。

 

・私も提案者と同じように、初診がうつ病とパニック障害。最初は固形物が食べられなくなってゼリーだけ。激うつになった。コミュニケーション能力が高かったけど、一切連絡をしなくなった。月2回の、先生に会うのが楽しみになった。なぜかこういう風に生きていく。目標を見出して前進していこうと思っている。

 

・自分がこの病気に持っている偏見と、社会と、闘って折り合いをつけないといけない。珍しい病気ではない。ガンを告知されたときにどう受け入れていくか、という研究が出されている。グリーフロス。何か悲しい経験をしたときに人間の心がどのように動くか。ちょっと調べてみるのもいいのではないかと思う。心のプロセスは6段階ある。

 

・私も打ち明けたらパタッと縁が切れた。

 

・発症が多感な頃で自分から縁を切っていってしまった。最初から少ない。アメリカの友達には言える。どんなサポートすればいいのって言ってくれる。日本人には言わないようにしている。

 

・賽の河原の石積みを崩される。一生懸命やって自分を理解できたと思っても、うつ転して崩れてしまう。躁うつってはっきり分かったときに楽になった面もある。自分のせいではないと思って助かった。疲れたら誰かに頼って生きていけていいんだ。半分ぐらい諦めれば楽しく生きていけないところもない。

 

○提案者:病気をどれくらい生活で考えているのか。行動範囲も狭まってしまう。病気を忘れられている日もある。バランスを取れていない。鞄に持ち歩いているけど家に帰ったら冷蔵庫にしまうという感覚。

 

・生きている時間。他の人に比べるとほとんどない。一番困っていることは何なのかと考えて、解釈を変える。

 

・セルフ認知療法、認知の歪みが7種類ぐらいある。認知の歪みが自分を苦しめている。与えられた視野を変えて乗り越えていく。白黒思考になりがちだけどグレーがあると気づき。自分でやるなり人に頼んで。

 

・発想を変える。薬を飲まないといけない人間、自分は劣っていると思っている。人間が毎日栄養を取らないといけない、その一つと思う。ビタミン剤。気持ちが楽になった。

 

・躁うつは最近なった人というのは特に大変。波乱万丈の人生送っている。友達を失ったり職を失ったりしている。つらい経験をしている。自分のアイデンティティがどこか分からない。躁うつ病だと分かったときに腑に落ちた。躁うつ病として生きていく腹構えになった。自分自身のあり方というのは、客観的にちゃんと見ることができるようになる。身体の人は実感しやすいけど精神は捉えにくい。社会との関係、友達との関係でどうなのか。同病者と積極的に話す。

 

・入院していて初めて躁うつとして認識してくれた。

 

・苦しいと思ったことがない。新しい境地。

 

・自分が不安定になったときにどう対処していいか。周りは躁のときが大変だろうけど、自分はうつ。切り替えスイッチを見つける方がいいと主治医に言われている。じっとしないといけない自分が不甲斐ない。

 

・受け入れらなくてここに来た。途中何回も否定して薬をやめたりしている。躁状態かうつ状態かメタレベルで考えていないといけない。敏感に生きること。躁うつを生きるのだったらかなり厳しい。主治医が病気なんてほんとの一部だから毎日気にしないで生活しようと助言している。

 

・最初の内はわたわたしていたけど。この2年前ぐらいに躁うつだというのが分かったって内は、わたわたしていたけど個性じゃん、と。日々の生活が忙しければそれはそれ、という風になった。冷蔵庫のタッパという感じになった。

 

・希死念慮を風邪のように思えるのに数年かかった同病友達がいる。不安が出ているときに湯船につかると不安が消える。整骨院の先生に聞いてみたら湯船は自律神経を整える効果がある。副交感神経が働く。この病気はお風呂に入れないことがネックになるけど、うつのときにどうにかお風呂に入れば気持ちの切り替えなる。

 

・ストレスコーピングのリスト。気分転換のリストがある方がいい。多ければ多いほどいいし、具体的であればあるほどいい。

 

・自分は躁転してそれまでなかった感性が芽生えた。アートが好きになったり、自分に自信がついた。だから躁うつと自分は切っても切れない。もしもこの病気になってなかったら、今の私を作ってくれた大事な仲間にも会えなかった。ケイ・ジャミソンが言うように、私も生まれ変わってもまた躁うつになりたい。

 

・自分で楽しくコミュニケーションを取る。自信をつけることをする。深い病気だと思っていない。コミュニケーションは一番重要。友達親兄弟子供に頼れないから自ら入院する。人は1人で生きていけない。人を選ぶ。弱い人を支えたい気持ちになってしまう。お互いやりとりすると人間関係ができてきて、人は相手見て自分が分かってくる。その人のつらさの分からないことを分かろうとすることによって。

 

○提案者:楽になった。ありがとうございます。

 

 

話題3:【運営交流会に向けて】

 

○事務局より:

レジュメを配布した上で以下のように提案させていただきました

 

運営交流会の趣旨なんですけども、会員制になる前は、何かトラブルとかスタッフだけではなくてどうしてもみんなで話し合わないと解決できないなっていうことがあったときに、みんなで集まって運営について話して結論を出していったという歴史がある。

            

会員制にしてからは総会というのもあるし、当事者が参加する、みんなが中心になって会の方針を決めていきましょうということで会員制の会にしたのですけれど。だから会員がちゃんと議決権を持って総会をもって方針を決めていくみたいな感じで。その一環として、一年に一回総会でやるだけではなくて、ちゃんと運営交流会ということで一年の中間でも運営についてみんなの方針を考えていきましょう、ということでやることにした。

 

  今回の127日の運営交流会で話し合いたいこと

 

まずは会の基本方針として確認したくて、一応三本柱ということで関東ウェーブの会にはあります。

 

1.孤独な躁うつ病者が気軽に参加できる会

社会から阻害されて孤立しているのが躁うつ病者の性みたいなとこがあるので、その人たちが気軽に集まれるというのが大前提。

 

2.様々な困難のなかでも継続できる会

これはすごく大変で、感情障害でぶつかり合ってトラブルも多くて、それを乗り越えて毎月こうやって継続できること。


 

 

3.すべての躁うつ病者に開かれた誰一人排除しない会

一番重要としていることなんですけど、これは後でまた話します。

 

4.当事者自身が運営してつくりあげる会

さっき言ったように総会をやって運営交流会をやって、会員という形で。これは最近三本柱に続いて四本目として会員制になったときに作った精神、理念です。

 

それで特に「すべての躁うつ病者に開かれた排除のない会」ということで、最近就労の問題が社会の風潮としてあります。昔はデイケアに行ったり作業所に行ったりして、居場所作りということで社会参加が捉えられたのが、基本的に障害者は社会参加もあまりプレッシャーを感じないでまずは闘病に専念しましょうみたいな風潮だったのが、だんだん就労移行支援とかA型作業所とか、経済的自立をしないといけないということでせき立てられている傾向があって、そういう社会の流れの転換の中でどうやって会がそれを捉えていくのか、ということです。

 

2018年度ではちょっと表現を曖昧にして「障害者の自立が前提に語られるような状況の中で、」でも「それに関わらず」すべてを排除せず開かれた会なのでみんなを包容していきましょうということで、自立しているかしていないか関係なく、働けるか働けないか関係なく、みんなに開かれた場を維持していこう、ていうのを改めて確認しました。

 

2019年度でその表現をさらに具体的にして、「就労しているか」にしました。自立から就労に具体化した。そしたら総会で、えっ就労ということに焦点をそこまで当てる?っていうのはどんなのかって意見が出た。色んな課題があるじゃないですか、薬のこととか福祉のこととかアルコールのこととか。

 

でも今一番差し迫ったテーマが就労、特に障害者間でも対立軸というか、働けない人のことをちょっと働けてる人があまりよく見ない。障害者は働かなきゃいけないんじゃないかと見る傾向とか。働けない人は働く人を見て、何で働くことをせき立てられないと行けないんだろうとか、そこらへん緊張感があるよう。そういうのをお互いちゃんと話し合って解消していくということを積極的に意識していきたくて、会則に取り入れた。そういうところを今回の運営交流会で話し合いたい。もうちょっと腹を割って話し合いたい。

 

排除がない会として、働けるか働けないかに関わらずお互いを尊重し合える場でありたい、これは会としての気持ちというか、会として持ちたいスタンス。まずは、そういう幼稚園みたいに「みんな仲良くしましょう」という前に、働けない人はこういう風に感じてる、働けている人はこういう風に感じてる、あるいは働けるか働けないかの狭間に立ってこういう風に感じているかというか、そういうところを本音で話したいというところがあります。そういう趣旨で運営交流会をやっていきたい。

 

今日はそこに触れたい。働く重みについて、社会参加ってどういう内容であるべきなのか、そういうところでちょっと腹を割って始めたいというところ。

 

・働くっていうことが基本的にはものを作り出す。単純に木から薪を作るとか。音楽だとか美術とか。そういう点では、株をやっていること。

 

・うつになるとやめて、うつになるとやめて、を繰り返してきた。独り身なので。年金をもらう見込みがない。働かなくても生活ができる、同じ障害があることで、主婦や、保護者がいて養ってもらっている方が結構いて、羨ましいけど経済的にかなりかつかつ。自分のアイデンティティが労働にあるかというと自分の体調を優先したい。

 

・子供が好きで幼稚園を作ってしまった人がいる。話しているときに何を言っているのか分からなくなる。障害の人を支援しようとするときに、老人と幼稚園を一緒にしようとしている。老人の人たちは寂しいと言っている。人手不足だから一緒にしちゃえとなっている。障害者、労働者、子供の施設はお金に困っている。

 

・↑究極のインクルージョン。

 

・自給自足の人も含む?

 

・本質論もあるけれど、現実的に考えると収入を得てるかどうかになってしまうと思う。

 

○事務局より:

大きな意味で、ある意味では対立的なところとか、上下関係として見るとか。極端な形で蔑むという形になりますけどね。自分は障害者であるんだけど、頑張って働いている、と。ところがその同じ障害者でも頑張ってけない、働くことができていない人間がいる、と。そういう存在を蔑む。一時期この関東ウェーブの会の中でも中心的なメンバーの中から、関東ウェーブの会はもっと「前向き」に、泣き言を言うような、働かないでその苦しさを話すような会じゃなくて、働けるような「前向き」な会にしようという風な提案がされたときもある。そういう意味では、今の就労移行支援なり障害者も働くべきですよという社会の中で、放っといたら対立の要素になる。それをどうやってお互いに尊重しながら統一していくか。一つの団体として誰一人排除をしない、そういう集まりとして継続していくかという問題意識ですね。

 

・働ける人働けない人と分けないで、きっぱり分けて対立しないで、障害者の中にも色んな人がいてグレーゾーン、それで対立する人もない。寝たきりでできない人も良し。

 

・家事労働をどう捉えるか。

 

・「自立しているかしないに関わらず」から「就労」・・・労働って、障害者にとって主要な問題なのか、数ある障害者にとっての問題の一つに過ぎないのか。関東ウェーブの会のあり方として就労の問題を入れるか入れないのか。そこに向けて、労働とは何かとか、障害者とは何かとか、障害者にとって労働とは何か、を話したい

 

・就労分科会はどうなのか。

 

・就労移行支援の問題などが現実としてある。就労はあるべきだという論もある。制度に乗っかってやりたい。どうやっても一致しない。だったら最初から分けてしまって自分の就労移行を分けた方がいい。

 

・就労を目指しているなりの苦労や色んな思いがある。障害者だからこそ、健常者と同じように働けない。人間として当たり前のことだし尊重するべき。一方で、どう考えても働けず挫折した、そういう想いも尊重できる。想いを全部含めて一緒にやっていきたい。

 

○事務局:運営交流会来てね。

 

 

懇談会の報告は以上です。終了後の懇親会では、夕食を食べて、歓談しました。その後、有志で二次会を行い、居酒屋へ行きました。

 

みなさんお疲れ様でした。また会いましょうね!