2018 年度第 6 回関東ウェーブの会例会(10 6 日)報告

 

今回は事務局員も含めて 13 名の方々が参加され、5 つの話題を中心にして、意見交換を行いました。

最後の話題では 12 月の運営交流会に向けた事務局からの趣旨を簡単に説明させていただき、参加者の皆さん

からご意見をいただきました。引き続き、当日取り上げる運営にまつわる疑問や話題を募集しています!

 

 話の流れとしては以下の通りです。

1. ストレスの解消法

  2. うつ状態の時の病院以外の相談先

  3. 自分の育ってきた環境や家族関係と自分の病状が関係しているかどうか

  4. 時間(人生)、空間(社会)、人間{じんかん}(家族)

     を失わない方法

  5.12月の運営交流会に向けて(提案:事務局)

 

1.ストレスの解消法

 

どういうストレスを抱えているか(この病気や症状がストレスになっている、置かれている環境がストレスになっている等)、そのストレスの解消をどういう風にしているかについて話しました。

 

・ゲームのオフ会など、同じ趣味の人と楽しい会話をする。パートナーの存在も助けになっている。

 

・人間関係がストレス。病気の面では、薬による体重増加や病気によってパートナーが見つからないこと。

 解消法は、ゲームでの通話をテーブルトーク的な感じで行っている。(クトゥルフ神話)  パートナーが見つからないことは、相手が必要なのであきらめている。

 

・解消法は特になく、苦し紛れにやり過ごしている。

 うまく寝ることを追及している。

 

・音楽を聴くこと(GLAY、高橋優)。高橋優の音楽は、本当に挫折を経験した人の心に響くと言われている。

 親友と電話をする。私は話したい方で、彼女は聞きたい方なのでうまくいっている。

 

・子どもが、本人の仕事や病気などで結婚してくれない。そのことで親を責めることがあるのも、ストレスになる。

 対処法としては朝から酒を飲んでしまい、悪循環になっている。

 

・何かをするときに何度もシミュレーションをしてしまう"忖度病"であることでストレスが多い。

ノートに文章で書きまくる、関東ウェーブの会の掲示板に書き込む、タバコ。

 

・判断や決断を一人で抱え込んだ時にストレスを感じる。

身体のこわばりをほぐすという点で整体やマッサージ、お酒を呑む。人とたくさん話す(ストレスに関係ない雑談でもいい)ただし、躁の時に人と話すのは要注意。ベッドに枕を投げる。いい音がするし、自分の手は痛くない。

 

・親のことがストレス要因になっている。

 不安が出るが、明確な対処方法がわからない。不安は夕方から出るので、眠剤を飲んでリセットしている。他には、人としゃべる、寝る、好きな音楽を聴く、twitter で暴れる。

 実際に声を発することや twitter などで言葉を発すること。心を発する。

 

・躁うつ病のストレスとしては、うつが長いこと、躁の時に自分のエネルギーがついていかないこと。

SNS は相手がいるのでつらいので、NETFLIXhulu など動画サービスを利用している。外部から遮断されるのが良い。youtube には再生リスト機能があるので、好きなものをリストにして見ている。ハムスターの動画を撮りまくる。

 

・仕事の小さなストレスがあるが、直に解消するのは難しい。

仕事帰りに映画を見に行く、飲みに行く(お店に行って人と話す)といった自分の楽しみでストレス解消。

生きている喜びを感じる。

 

・解消法はなく、自分の中に閉じ込めている。

職場では大きな声を出せないので、小さな言葉で利用者を笑わせている。本来は大きな声で笑って当然だと思う。

家では仕事のことは言わない。友人と電話でしゃべる。

社会制度等が悪くなると、もっとストレスがたまる。

 

・躁うつ病にかかわるストレスもいろいろあるが、それ以外では、目の病気で文字の読み書きが難しくなった中で関東ウェーブの会の HP の管理をやらなきゃいけないこと、部屋がとっちらかっていること。

HP は何とか工夫してやったり、やるのをあきらめたりしている。生涯大切にしてきたことをあきらめなければならないのは残念。部屋を乱雑にした家族を怒る。家族からのはねっかえりがまたストレスになる。

 

まとめ:

・人に話を聞いてもらう

・声に出せないときにはインターネット上などのバーチャルを利用する

・寝る

・アルコール、タバコなど

 

 

2.うつ状態の時の病院以外の相談先

 

うつ状態に限らず相談先がある:7 /13

うつ状態の時に相談できる:7 /13

 

〇家族、パートナー

 一番身近にいてわかってくれる

 

〇同病者や同じ境遇の方

・同病の知り合い

・自分と同じような境遇の知り合い

 気持ちの共有ができる

・関東ウェーブの会

・魚夢さんの躁うつ病者の独り言掲示板(匿名・レスなし)

 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/gyomu.html

 

〇友人、日常的に会う方

・電話をかけられる親友

 うつの時は LINE は難しいが電話はできる。

・デイケアの仲間

・家族の介護施設の方

 

〇医療/福祉などで関わりのある専門家

・就労移行支援のスタッフ

・デイケアのスタッフ 月1で面談がある

 有資格者が相談に乗ってくれる

・入院時は毎日カウンセリングを受けられた

 

〇夜間のうつ状態について

・うつ状態になるのは夜が多いが、就労支援や病院が対応してくれるのは夕方まで。夜はいのちの電話になるが、つながらない。

・深夜にうつになった時には友達には連絡できないので、専門の方が対応してくれるサービスがあれば利用したい。

・ブログを書いてみては?同じ時間帯に起きている人が見てくれるので、関係をつくりやすい。

twitter のアカウントを複数作ってみてはどうか

 

〇その他

・月2回行っている事務局会議では、話の中でお互いに体調や気持ちを共有できるので、事務局メンバーになることもおすすめです。

 

 

3.自分の育ってきた環境や家族関係と自分の病状が関係しているかどうか

 

まず、躁うつ病だけではなく精神障害一般の病状に対しての関係性について、アンケートを取りました。

 

発症そのものに関係(逆を言えば環境が違えば発症さえしなかったのに)

YES 5

NO  8

 

YES の一人:家庭環境が父がまったくいなかった。息子と一緒にずっといることがあった。自分が優しいのに息子がわがままだった。母のおばあちゃんがそういう病気でもあった。遺伝的な要素あり。

 

病状の悪化(症状の現れ)に関係

YES 5

NO  8

 

・話題提案者:私は「病状の悪化に関係」に YES。もっと多いかと思った。

ある漫画で精神障害の障害はなんの障害なのかという問いかけがあり、それは人間関係の障害だろうとあった。最初の人間関係は育成環境にあるので、とても関係があると思う方が多いと思った。

 

・職場や現在的な人間関係に関しては会でよく聞く。

 

・話題提案者:「病状の悪化に関係」に NO の人の話しを聞きたい。

 

・遺伝は関係あると思う。でも育ってきた環境は、普通に父も働いていて母は専業主婦であったが、関係ないと思っている。父親は感情の起伏が激しくて物にあたる。「お父さんが物にあたるのが怖い」と母親に訴えるということを繰り返してきた。その父親の遺伝を引き継いだのではないかと。

病気になった時に母が自分のせいだったのかと言われてすごくつらかった。

本人もそう思わなくていいんだよと言いたい。

 

 

4.時間(人生)、空間(社会)、人間{じんかん}(家族)を失わない方法

 

・母ともそうだった。とにかく話すこと。コミュニケーションを取り合う。母がそうなって、何が一番つらかったかというと話しを聞いてもらえなかった一番つらかった。

・自分がフラットの時に周りにいる人たちに伝えるようにしている。あなたは私にとって大切な存在だからと言葉にするようにしている。躁になってはちゃめちゃな行動をしても周りがサポートしてくれる。

 

・色んな解釈があると思うけれど、社会との接点を維持していく。

当時者会を発展させていくこと。一人ではつぶれてしまう、自殺してしまう、自分を見失ってしまうけれど全員で団結量をもって社会と同じ土俵で訴えかけたり・・・自分の個人史以上に障害者の歴史とか大きい視野を持つこと。アイデンティティの喪失をしないように。

 

・よく自己犠牲というけれど、我慢と妥協。人によってはつらくてストレスと言われるかもしれないけど、周りがストレスの方が自分のストレスにつながる

 

・人生とか家族とか社会を失う病気だと思うけれど考え方が大事。家族、仕事、衣食住そういうものを失った時、それでも生きている価値があるということ。悟りの境地。酷だけれども自分がそこに行きついた。・躁うつ病なんで非常に過酷な状態に置かれていると思う。人間全般に言えること生老病死生まれるとこはいい、あとは全部老いて、病で死んでマイナスばかりでも一般的に人間は生き続けている。自殺は非常に少ない。何らかの人間が一人一人生きている実感を抱いている。ただ我々の場合はそれよりも過酷。一般の人が考えている以上に我々は過酷さが大きいこの落差。社会変革が失わない方法。

 

PSW には社会変革をやんなきゃ

 

・非常に哲学的な話。人生っていうのは失いゆく過程。失わない方法は自分の中にない。色々なくした時に最後平穏にいられるかどうかで、それは人によって適正があるのか。例えば病気のパートナーの場合はそれができなかった。あがいたはあがいたけどもその過酷さに耐えうる精神は持ち合わせていなかった自分の場合は、死の恐怖に勝った

 

・この病気を通じて底つき体験を経て鍛えられる。そういう心境は病気によって作り上げられた

 

・失うものなんだなというように。自分も失った人間なので、とんちみたいになっちゃうけど、同じ轍を踏まない。また新しいものを生み出す。その時にその経験が役に立つ。割り切り。

 

・人間が個として生きていく場合に失っていくことは不可避だし、永遠に続くものは皆無に等しい。理不尽なものなのかじゃないのか納得いくものなのか。失っていくことはしょうがないけども、自分が解体しそうな理不尽じゃないようにするには社会を変えていく以外にない。

 

・話題提案者:聞きたかったことを聞けて感謝してます。ありがとうございました。

 

 

5.12 月の運営交流会に向けて(提案:事務局)

 

会員制の当事者会ということでやってきたんですけども、当事者会と言いながらも当事者会というものが一体、躁うつ病者である我々にとって、あるいはこの社会の中でどういう意味を持つものなのか?

また、我々が当事者会として生き発展していくためにはどういうことを考えないといけないのか?

その当たりをちょっと今度の運営交流会でみんなと話していかないといけないんじゃないかなという風に考えている。

最初は、孤立した躁うつ病者が気軽に集まることができる、従って排除がない、そういう形で進んできたわけですけども、今逆にそこから当事者会を作ったところからどういう風に考えるか。この間色々勉強してきた。

 

大体世界的な大きな流れとしては 1960 年代ぐらいから変わり始めて来て、2000 年前後で障害、障害者、あるいは福祉という考え方が大きく変わってきたことがある。それについて取り上げてみんなで考えていきたいと思っている。

 

学問的なレベルの話をまずするけど、障害者とは何ぞやと考えるにあたって 1980 年代までの医学モデル、つまり精神障害も含めて障害者というのはノーマルな人間に比べてこれは劣るこれも劣る、これはダメだこれもダメだという風にカウントしていく考え方が医学モデル。そういう点では疾病モデルと言ってもいい。で、ノーマルな社会がガーンとあって、そこから落ちこぼれている人間がどういう落ちこぼれ方をしているかと、こういう考え方が ICIDH というのがあって、今行われているのは 2001 年からの ICF

 

ICF というのは最初から「共生」するわけだけども、すべての人間が障害者含めて分け隔てなく一体の人間として生活していける社会いうのもの基準とする。そこから相互に障害者の障害がどういうものなのか。あるいは逆になぜ障害を持っている人間が普通のレベルの生活ができないように社会がなっているのかと、この 2 つの側面から社会モデルっていうのはそういう風に考えると言う風に大きく転換がされた。

 

それが大きく障害者権利条約が 2006 年に締結されるわけ、国連で。日本は批准するために 7 年間遅れている。批准するということは日本の国内の法律を国連的なレベルに合わせる必要がある。他の国に比べても日本はものすごい長い期間が必要だった。ではそういう風になっているかというとなっていない問題もある。考え方の問題として、我々は当事者会と言いながら、また障害者観、障害者というものがどういうものであるのか?

 

参加者:健常者の中で落ちこぼれがいるとおっしゃったけど、職場の人たちは私のことをバカだといった。失敗をした、常識がないと言われた。できるできない。そういうものを作ってきた。

 

障害者観というのがそもそも医学モデルとして言われていた。しかし参加者の方がおっしゃっているように、そういう風にさせているのは何なのか、それは個人の責任というものではなくて社会というものがそういう風にさせているんだというのが、今のいわゆる社会モデルだと思う。だから社会の方が変わらないといけな

い。これが今障害に関して、福祉に関して少なくとも学問上、あるいは国際上の普通の基準に・・・・

 

参加者:その普通の基準というのがおかしい。身長何センチとか

 

標準となっているもの、これを僕らが鵜呑みにして賛成ということではないけども、今国際的に標準になっているもの自体が当事者自身の力で切り開かれてきたという、1960 年代以降のバークレー校の障害者の学習環境の問題から始まって、特にアメリカにおいて非常に大きなうねりになってヨーロッパは結構受け止める土壌があったということで広がっていって、そもそもノーマルというものが定まっていてそこから落ちこぼれている人間がダメだ、とこういう風に言われてきたものを逆転して、そういうものを「ノーマル」と言われてきていない人間を受け止められない、包摂できない、一緒に人間としてやりとりしていけない、そういう社会が問題なのではないかという考え方に大きく転換していける。

 

だけど、学問上の転換や国際法令上の転換に対して実際の一つ一つの国や社会や職場、そういうものが対応しきれているかというと、まったくしきれていないというのが現実。そういう中で、一応形だけでも今は障害者政策を制定していくにあたって、当事者の声というものを必ず聞かないといけない。逆に言えば当事者を除外して当事者のことを決めるなという世界的な声というものがある。

では、そこにおける障害者の側からの当事者の声とは何なのか、現実の今のところ結局のところ健常者が影響している障害者団体の声であったり、ある特定の障害者団体の声だけが拾い上げられているといのが現状。もう少し詳しく検討する必要があるけれども。そういう中で実際にこの間の国際的な理念が、障害者も含めてすべての人間が普通に同じように生活していける、そういうものとして作っていこう、という意味を持つものなのか、今度の運営交流会で話す必要があるのではないか。

 

運営交流会を大きな節目の時にやった。大きい問題はスタッフだけではなくみんなで解決していく。会員制の当事者会について定期化することになった。なったからにはなぜそうしたのかが風化しつつある。大きくは関東ウェーブの過去はこうだったと再確認して未来について話したい。

 

関東ウェーブの会の4本柱。

1.安定して継続できる会

2.躁うつ病者が気軽に集える会

3.すべての躁うつ病者に開かれた排除のない会

4.スタッフだけじゃなくてみんなで作る、当事者が中心の会

 

当事者会になる過程では何度も問答して色々話し合ったけれど、なったからにはなぜしたのか?風化しつつあるからこの 4 本柱を踏まえた上再確認したい

 

参加者:正常か正常じゃないかという測りがあった。その中で障害者と健常者と分けているわけじゃない。その測りの目盛りが年によって変わっていく。それをはかっていく時に奥行き、面積で見るべき。幅で見るべきじゃない。その人の積み重ねてきたもの。そういうもので見るべき。そんなもの知ったこっちゃないと思った。

 

懇談会の報告は以上です。終了後の懇親会では、夕食を食べながら歓談しました。その後、有志で二次会を行い、居酒屋へ行きました。

 

 みなさんお疲れ様でした。また会いましょうね!

 

 

**会よりおしらせ**

 

12 月は運営交流会です

  12 1 日(土曜)は通常の例会ではなく 2018 年度(第6回)運営交流会になります。

  運営交流会は、特に会の大きな節目において、皆さんと共に会の方向性を考えるために開催してきました。2017 年度から会員主体の会員制となって、定期化することになりました。会員・非会員問わず、運営に関わる議題をどしどし募集中です!