6 回関東ウェーブの会運営交流会(2018 12 1 日)報告

 

第一部 自己紹介

 

第二部 国連の障害者権利条約を通して当事者会の役割を考える放送大学の講座を元にした動画の上映と質疑という流れで進めました。

 

事務局員:障害者が社会の中で健常者と同じように生きていけるのが社会なんだという、そういうノーマライゼーションというのが 1950 年代ぐらいから、特に 1960 年代に広まっていきました。

2006 年にその内容を盛り込んだ障害者権利条約というのが生まれた。関東ウェーブの会の発足が 2006 年なんですけども、それ以降 12 年間やってきたんですが、どうせリップサービスだろうというんで、まともに取り組んでこなかったというのがあります。実際にこの間勉強してきますと、非常に高い理想を掲げると同時に、各締約国に報告を求めるということ、そのような関係で色んな障害者が政策に入っていないといけない。

当事者会というのを考えるにあたって国連の障害者権利条約をちゃんと知るということが必要だと思いますし、そういう理念の下に、色んなスタンスの当事者会等が連携を強めて発信力を高めていくということを考えて、今回は障害者権利条約を取り上げようと決めました。

 

これから流す動画は、連続すると 20 分ぐらい、一気に流すと分からないところが出てくると思いますので、パート分けをして、その度に質疑をやります。分からないところなどあったら気軽に言って下さい。

 

Part 1

動画より:

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この動画は放送大学の了承を得て運営交流会の学習目的ということで「障害者を知り共生社会を生きる」第 5 回の講座から関東ウェーブの会の責任で抜粋・編集して作成したものです。

 

障害者権利条約について

障害者制度改革推進会議総合福祉部会の部会長として障害者権利条約の締結のための取りまとめをされた佐藤久夫先生に聞く。

 

国連の、1975 年障害者権利宣言から、2006 年障害者権利条約成立までの 31 年間の流れ。

日本は 7 年後の 2013 年にこの条約を批准し、2014 年にその効力が発生した。

 

障害者も平等な権利を持つ存在だということで障害当事者だとか家族の組織に働きかけて 75 年の障害者権利宣言というのが出来たということがあって、そこで 30 年ぐらい経った訳ですけども、それから何故30年も更に経たなければいけなかったのか、ということがまた課題になるんだろうと思いますけども、それはやっぱり障害者権利宣言というような理念、宣言と、それから条約というような各国が批准して、その国の法律の中で非常にトップに位置づけられるような、そういう重要な法律ではありますので、理念としての宣言だったらいいけれどもそれを国内法にするには困る、という意見がかなり長くあったんですね。

国連はそのために色んな取り組みをしてきて、障害者権利宣言を実行に移すための国際障害者年だとか、国連障害者の 10 年だとか色んなことをやってきて、その途中途中で権利条約にしようという提案がなされたんですけれども、時期尚早ということでまだ先送りされるというようなことが続いて、ようやく 2001 年になって準備の委員会が設けられたと。

やっぱりリップサービス的な理念の宣言と条約との違いがあるんだけれども、しかし 1990 年代になるとアメリカの障害者差別禁止法(ADA)だとか世界各国で実際の法律がいっぱい出て来たので、そうなってくるともう時期尚早とはいつまでも言ってられないというような状況になってきたという。

しかし 30 年かかってしまったというか 60 年かかってしまった、ということかと思います。

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質疑:ノーマライゼーションということで、「障害者はみんな平等だ」ということは、理念としてはいいのだけども現実の国内法にするとなると、時期尚早と言われてきて 60 年もかかってしまったという捉え方でいいか

 

事務局員:そうだと思う。スウェーデンでは障害者の家族が立ち上がって「障害者と共に暮らすのは当たり前であるべきだ」と立ち上がったが、国連も含めてそれに応じるのが遅れて、批准するのが伸びに伸びた。

 

質疑:これに関しては精神病に限らないのか?

 

事務局員:精神病だけではない。障害全般。

 

 

Part 2

動画より:

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総則

権利条約によって、それまでの障害者に対する考え方が正反対の障害者観に変わった。

医学モデルから社会モデル まだまだ古い考え方が残っている。共生社会の実現に向けて

 

障害者をどう見るかということについて総則で定めているということが重要ではないかと思うんですね。

これは先ほども言いましたように、世界人権宣言の時には 1940 年代の頃にはまだ障害者というのは保護されるべき人たちだと。問題を抱えている本人たちの責任で問題を抱えている弱者である、保護するべき人だという考え方が、相当先進国でも一般的だったんだろうと思うんですね。

ですから 500 人とか 1000 人くらいとか大規模な入居施設が、先進国でもたくさんできるというような状態。

ホームヘルプ制度もなく、年金制度とかそういうのもなく、保護の対象となっていた。

60 年代になってからノーマライゼーションとかいうような運動が出てくる中で、障害者権利宣言なんかが生まれるという風になるんですけども。

そんな戦後の世界の、国連の出発点というのは、障害者を弱者ふう見るという出発点だったんだろうと思うんですね。

ですから、それから権利条約が、平等な市民で権利の主体であるというようなことを打ち出したわけで、その医学モデルから社会モデルと言いましょうか、正反対の障害者観になるのに時間がかかったということなのかなというふうに思います。

私たちも、つい最近まであんまり駅にエレベーターやエスカレーターがないというふうな状況の中で、車いすの人が電車に乗るのが難しいのは車いすに乗っているからじゃないか、足がマヒして階段上れないその人に原因があるんじゃないか、というような見方をしていたんじゃないかと思いますね。

僕なんかも障害者福祉を長くやっているんですけど、かつてはどの駅にも無かったですよね。そういう環境がほんとにバリアだらけの時には医学モデルになりがちだというような、ほんとはいけないんですけども、そうならざるをえないようなところがあって、しかし今になってみるとあちこちの駅にエレベーター、エスカレーターがあると、そうすると、たまたまそういうのがない駅で電車に乗れないっていうのは、エスカレーター、エレベーターがないからと、環境にバリアがあるからこの人が自由な移動ができないんだ、というふうに思うわけですけども、そのようにたくさんバリアがある時にはバリアに気づかない、これが当たり前だというふうに思っちゃうというような、そういう弱点があるので権利条約ができて、障害だけじゃなくてバリアによって生活の困難が起こっているという考え方、そういう人たちが障害者なんだという考え方、従ってバリアをなくすということが大事なんだと、そういう権利条約が出来たんだけれども、まだまだ古い考え方が残ってますので、権利条約の実効というのは相当時間がかかる課題かなと。

だけど、そういう社会を作って共生社会に本当に持って行かなければいけない、ということなんだと思います。

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事務局員:バリアがたくさんあると、社会的な障害(バリア)に気づくことが出来なくなってしまって、障害者が弱い対象であるという風に見られてしまう。

バリアが振るいにかけられる中で、社会にバリアの原因があるということが見えてきた。

これは大きな転換であった。

医学モデル(ICIDH)から社会モデル(ICF)という、正反対な障害者観への転換。

個人の障害の機能障害は、社会の環境の方に原因があるのではないか?と問題視されるようになった

 

ICIDHInternational Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps

1980 年に、機能障害と社会的不利に関する分類である WHO 国際障害分類が制定された。

機能障害のマイナス面を列記するものとなっている。

「医学モデル」と言われる。

 

ICFInternational Classification of Functioning, Disability and Health

身体・個人・社会という 3 つの視点に立って、ある健康状態にある人に関連する様々な領域を、心身機能・身体構造・活動・参加に系統的に分類するものであり、個人の生活機能、障害および健康について記録し、対応する社会の障壁を分類するものである。

「社会モデル」と言われる。

 

意見:医学モデルから社会モデルの転換に関しては、こちらの URL を参考にしてはどうか。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181201150424.pdf?id=ART0002014841

《特別講演》新しい障害概念と 21 世紀のリハビリテーション医学 −ICIDH から ICF へ−意見:視力が悪くて文章が読めない場合、眼鏡をかけると見える。

視力のことは問題だけど、眼鏡を作るかどうかは社会の問題である。

 

意見:現在就労移行支援に通っているが、まさに医学モデルから社会モデルへの転換がテーマになってくると思っている。

比喩で例えると、我々は羽が生えていなくて空が飛べないけど、鳥の世界ではパーツが欠けている、それは障害と言えるかもしれないが、人間世界ではパーツが欠けているとは言えない。つまり多数派がそのパーツがあるかどうかで、障害であるかどうか見極められる。例えば、多数派にとって車椅子がなくても生きていけるから、車椅子が必要な人が障害者とみなされる。

(ここで、障害者にとってバリアフリーな環境がマジョリティであると、健常者にとって生活するのが困難という CM 映像を見せていただいた)

障害者に対してスティグマが強ったり哀れみの対象になったりする。

障害者・健常者は上下関係。障害は機能的少数派。脳内伝達の機能に障害があるという少数派。

それは社会の多数派にとって困るから障害であって、倫理的に間違っている・正しいということとは無関係。

 

事務局員:ソーシャルインクルージョン(障害者を対等な人格として社会に包摂するという意味)、社会が障害者にとって、対等な人間として生きることができる条件を相互の変革を通してつくりあげるという点が重要である。

社会の側から、障害者と健常者が共に一緒に活き活きと生きている社会になれば、それがノーマルになるという考えの転換。

 

 

Part 3

動画より:

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19

障害者の自立した生活及び地域生活へのインクルージョン(包容)

「平等に居住地を選択しどこで誰と生活するかを選択する機会を有する。ならびに、特定の生活様式で生活する義務を負わない。」

 

まず、指摘しないといけないのは第 19 条ではないかなと思うんですね。19 条は自立した生活及び地域生活へのインクルージョン(包容)。

この点は日本の現状と非常に食い違いが大きいという風に思いますけれども、この第 19 条の中では「平等に居住地を選択しどこで誰と生活するかを選択する機会を有する。ならびに、特定の生活様式で生活する義務を負わない。」というようなことを書いてあるわけですけれども、しかし今入所型の福祉施設で暮している人が約 19 万人であまり減らないですよね。

それから精神科病院に入院している人が32万人でそのうちかなりの人たちが一年以上の長期入院になっていると。

全体で 50 万人ぐらいは医療の必要がないのに長い間病院に留まらざるをえない。もちろん必要な人もいるわけですけども、かなりの数が必要ないのに社会的入院を余儀なくされている。福祉施設の人たちも、地域で介護を受けられれば地域で暮したいという人たちがほとんどなわけで、こうした現状と権利条約が言っていることとのギャップがかなり大きいなという感じがする。

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質疑:ソーシャルインクルージョンがなされていない。この場合は精神病者の社会的入院の方が多い、日本は遅れているということでいいか?

 

事務局員:インクルージョンの意味に包容社会というのがあって、その中に障害者を入れますよということではなくて障害者を社会が包摂できるようになる、そういう社会になりましょうよという意味。

そういう意味で、スウェーデンやアメリカは実際に大きな運動で生まれているのに比べて、日本の現状は非常に遅れている。

 

 

Part 4

動画より:

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27

労働及び雇用

「すべての障害者が一般の開かれた労働市場で労働する権利を有する。」現実とのギャップが大きい。

 

それから似たような点では、第 27 条労働及び雇用というところがあって、障害者権利条約では、「すべての障害者が一般の開かれた労働市場で労働する権利を有する。そのために必要な措置を締約国に求める」、ということになっているわけですけども、実際上は 20 万人近い人たちがいわゆる福祉的就労という状況にあって、一か月の工賃が一万円とか二万円とかで、かなり一時的ではなくて長期にわたって生活をしていると。その数も減っていないですよね。

一般雇用に移っている人たちの数も増えているわけで、厚労省の方が、うまく行っているんだからまあいいんじゃないか、みたいな対応になっているかに見えるんですけども、しかし権利条約と照らすとやっぱりだいぶ違うと。

一般の労働者としての労働法の適応の対象となって色んな労働法規が適応されるような、そういう働き方をすべての希望する障害者に保証せよ、という権利条約と相当の矛盾があるという感じがしますね。

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事務局員:福祉的就労というのは主に B 型作業所のこと。安い工賃で働かされている。障害者の大部分は重度の障害者と考える場合に、今の就労は、権利条約で謳われているように本当に平等になっているのかどうか疑問。

 

意見:AB 作業所は両方に見学に行ったことある。A 型は最低時給が出ている。B型作業所は作業所によってはただ同然みたいなところがある。今は会社で働いているけど、通うかどうか考えると難しかった。A だったら時給あるけども年齢制限がある。B はほとんどお金が出ない。

 

事務局員:逆に B 型は利用料をとる。工賃が利用料より少ない。お金払って働いているようなもの。工賃は給料と違う意味合い。B 型は職場というより居場所という意味合いが強い。

 

事務局員:ある統合失調の方が「障害者にとって生活することそのものが労働だ」と言っていた。どんなに重度な障害者にとっても働くということは人間の本質。社会の中でそれが行われていないことは実際に孤立化につながる。実際どうなるかは綱引きのようだというのが現状。

 

意見:当事者の実態として 50 万人近くが福祉的就労。大部分が一般雇用されていない。それは統計で出ている。厚労省は一般雇用が出ているかどうか上澄みばかり見ている。就労移行支援というのも実績ばかり。

重度の障害者にこそ手を差し伸べることができる社会になるべき。

 

事務局員:個人的に言えば全く同感。重度の方が労働の喜びを普通に感じることができる世の中であるべき。

 

 

Part 5

動画より:

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障害者権利条約の対象とは?

機能障害による一部の障害に限定するのではなく、社会の障壁によって生ずる障害のすべてを対象とする。

そもそもの障害者に対する法律で誰を対象とするのかと。

障害者のための法律は当然障害者を対象とするわけですけども、誰を対象とするかということに関して、権利条約と日本の国内法とのギャップというのはかなり大きくて、医学モデルというか一部の特定の障害とその程度の人たちだけに対象を限定するような限定的で医学モデル的な対象既定というのは、これまで出された国連の総括所見、勧告の中でも、「あなたの国は医学モデルだからもっとニーズに基づく支援対象、法的な定義に切り替えなさい」という勧告に・・・ニーズに基づく支援の対象にしてくれというのがあるにも関わらずなかなか医学モデルから切り替わっていないために、なっていないという。

日本での法的な障害というのは、機能障害、医学的な障害ですので、権利条約が言っているような、「機能障害と障壁との相互作用によっておこる生活上の困難、平等な社会参加ができない事態を障害という」機能障害と障害を全く分けている、そういう権利条約に沿って法律上の対象、特に個別のサービスの法律を見直すというのはあるかなという風に思っています。

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事務局員:国連の側から日本に対して、日本は未だに医学モデルで、機能障害しか対象になっていませんよ、という注文を付けられている状態。

 

意見:すごい大事な内容だと思っている。障害者権利条約の対象が日本においては医学モデルで限定的。機能障害と社会障壁と両方を対象するべきなのに、前者だけで、その状態のまま就労に持っていこうとする。

本来は日常生活できるようになること、やりがいや生きがいができると、活き活きとした生活を送れることに重点が置かれるべき。人としてのリカバリー。就労ばかりに行っちゃって、そういう点で、生活の充実が軽視されている。

就労移行支援もいいんだけど、それ以外の対象の障害者にとっての居場所、社会とのつながりの支援を日本が重視するべきだと思っている。

 

事務局員:今言われたことに全く同感。就労支援一辺倒になっている。

社会保障費を削減したいから、就労だけが社会参加ということになっているからか?

働けないとか対人恐怖症の人とか、働いてやっと一人前という考え方、親の世間体とか。そのような意識がものすごく強い。

行政は社会保障制度を出すのが嫌だ。就労するだけが社会参加。

労働だけじゃない社会参加、自己表現の支援が、非常に必要なんじゃないかと感じた。

 

事務局員:厳しい財政だと国が言っている中で、なぜこれぐらいの財政を就労移行支援に回せるのか?国連が要求していることに対して形だけでも結果を出さないといけない。軽度の障害者、上澄みだけでもやってますよと報告している。

色々な労働の形態があると思う。当たり前に社会に参加できる制度が絶対に必要だと思う。

 

意見:ICD-11 では、精神系は「症」と表現されることになっている。例えば、神経発達症。disorder を障害と読むのはやめようとなっている。

結局機能の問題ではなく機能によって社会に障壁が生じていること。社会は多数派に便利になっているから少数派がこうなっている。

 

 

Part 6

動画より:

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33

政府から独立しており条約を充分に監視する機関を設置すること。その機関には様々な種類の障害の当事者が参加していなければならない。

 

33 条はある意味で非常に重要な、国内における実施及び監視というタイトルになってまして、権利条約がちゃんとそれぞれの国で実施されているかどうか、それをモニターする、監視する機関を設けなさいというのが第 33 条です。

その機関というのは政府から独立した機関である必要があるということと、障害者の参加、障害者の意見が反映されるような、障害者が参加したような監視の仕組みを作りなさい、というそういうことを言っているわけで、これは条約に基づく義務ですので日本政府も障害者参加の監視の機関は定めてはいます。

それが先ほどの制度改革では、障害者制度改革推進会議という機関が設けられたわけですけども、その推進会議が障害者基本法に基づく常設の法廷の機関となって、障害者政策委員会という名前になって今活動しているわけですけども、その障害者政策委員会が、権利条約が求める第 33 条のモニタリングの機関であるという風に日本政府は位置づけているんですね。

その機関は今言いましたように色んな種類の障害を持った人、当事者が参加しているという点で条約に沿ってはいるんですけども、政府から独立しているという要件については政府はそれ満たしているんだというんですけども、どう見ても私なんかから言わせると、まだまだ独立性が弱い。

つまり政府が委員を任命して事務局も政府が担って、独立した予算だとか事務局なんかがないという感じなんですね。

事務局が報告の案を作って、それに対して意見を言うというような感じでその辺の独立性が弱いので、もうちょっと 33 条に沿った形のものが必要なんじゃないかなと思っています。

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事務局員:三つの問題点。

一つは日本の政策委員会そのものがほんとに独立性を保ったものなのか?

政策委員会の委員の内容。これは国の方が選ぶということになっている。全国の障害者の声を代表するものではない。

日本の報告が非常に偏っている。その結果がどうなっているかという報告をしていない。

 

意見:協同することが大事。精神科医とか看護師とか臨床心理、家族、当事者が垣根を取っ払って想いを発信していく。行政もそうだけど。

当事者力が問われている。当事者も積極的に参加していくべき。

今の動画を見ると、独立性が弱いためになかなか当事者としての発信力がなかなかできていないと思われる。

今後の時代が、生の現場の生きづらさ、その思いを公にするためにも、当事者の発信力を高めていく必要があると思う。

 

 

Part 7

動画より:

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報告の義務

 

条約に充分に沿った政策を実施しているかどうか、またどのように障害者の生活がどう改善したかを、国連に報告しなければならない。市民、障害者からの意見(パラレルレポート)が同時に必要とされている。日本は正直に充分な報告を行っていない。

 

国連は各国政府に対して、何をしているかということと、それをした結果障害者の生活がどう改善したか、という両方のことを書きなさいという風に求めているんですけども、前者のことばかり書いているというのが日本の政府報告で、正直に書きなさい実態も都合の悪いことも書いて実態を示して下さい、という風に国連は言っているんだけども、なかなかそうなっていないということで。

監視システムを活用しながら、日本の障害者施策を改善するために権利条約を活かすと、そう

いうスタンスに政府がなってもらいたいなという風には思っているところです。

 

加盟してから 2 年以内に最初の報告を出して、それ以降は4年以内ごとに定期的にやりなさい、というそういうことですね。

 

政府の報告に盛り込まれていないことについては、パラレルレポートで障害者の目から見た、市民社会の目から見た実態、一般市民との比較のデータがあればできるだけそれを活用しながら、平等なところまで近づいているのか、どういう課題があるのかということについて、市民社会の側も問題提起をしていく必要があるのではないかと思います。

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事務局員:このパートの最後の方では、各国に、権利条約の内容が各国で実現できているのかという報告の中に、パラレルレポート、つまり障害者からのレポートも必要とされている。

障害者が一人一人声を上げることができる。色々な特色があると思うけど、当事者会が、一人一人の力を集めて発信する場であるべきだと思う。

 

質疑:それは具体的にどこでやっているかというのはわかるのか?

 

事務局員:政策委員会の一人を知っている人もいるけれど、もっと具体的なところは調べきれていない

 

事務局員:国連の障害者権利条約を作る前は、障害当事者が顧問だった。アドホック委員会、2006 年に実際条約が作られる前に臨時条約が8回ぐらい日本で行われている。

"Nothing about us without us"(私たち抜きには決めないで)という標語がいつからかできて、そういう流れからできて実際にやりましょうというのがあって 4 条ができた。

障害者と緊密に協議すること、33 条では報告及び監視をすることになっているが、今どういう形で選んでどういう基準で、誰がどう声掛けしているのはか分からない。

障害者制度改革推進本部(佐藤久夫先生)は、条約を作るまでの間の委員会で、一回解散した。

障害者政策委員会を作って実地及び監視。

必ずある一定の障害者が参加する、障害団体が関与している。そこに参加できるようにお願いできるかどうかは分からない。

 

事務局員:アドホックというのは聞き慣れない単語。臨時的に作る会。

重要なことは具体的にどういう仕組みを知るということもそうだけど、各当事者会が足腰を鍛えて、高い理念を持って、そういう土壌がなければいくら仕組みが良くてもどうしようもない。

今回運営交流会を開催した意味はそこにある。高い理念を持って横の連帯を持つところにある。

 

意見:上の方が意見したことそのもの。制度的なものも大切だけど当事者会のあり方をしっかりすること。当然日ごろの悩みを傾聴、共感するのも当事者会の役割だけど、それと共にパラレルレポート、障害者からの問題提起も必要。

当事者会が公の場で現場の生の生きづらさを発信していく場が必要になってくる。体験を共有、分かち合い、ピアの強さを生かした当事者力、発信力が問われる。

そのために、当事者会同士が連携して発信してまとまって、大きな流れができると思う。まとまって一つになっていくことが大事。

 

事務局員:孤立した私たちが集える場、話しができる場、それは前提。絶対に欠かすことができない。

それだけに終わっては、ここで言われていることが実現されることはあり得ない。綱引きで結果的に叶っていく。

私たちがどれぐらい力をつけていくか。横のつながり。発言力を高めていく。

 

 

Part 8

動画より:

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まとめ

障害者の定義を踏まえて、社会の中で障害者の平等な権利が求められている。

それぞれの障害者や当事者会がそれとどう向き合うか?

 

権利条約では、障害者を保護されるべき人たち、保護の対象、と見るのではなく、平等な市民で権利の主体であると捉えます。

これは、医学モデルから社会モデルという、従来の正反対の障害者観と言えます。障害とは「機能障害と障壁との相互作用によって起こる生活上の困難のため、平等な社会参加ができない状態と考える」わけです。

障害者をニーズに基づいた社会モデルで考える必要があります。

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事務局員:横の連帯を強めて、障害者自身の発信力を強めていく方向になっていけばいいと思う。

 

 

第三部 それぞれの個人や会のあり方を尊重しながら、その連携を深める交流会

 

団体:口火となって発言されていない方も平等に意見を言ってほしい。

横のつながり。仲良く結束しようという気分が高まれば、行政の発信も当事者の発信も高まる。横と縦のつながりが大事だと思っている。一つのまとまった方向に結束すると大きな力になる。

専門家の自己満足にならないように。色々な立場の垣根を取っ払って、当事者の想いを、生の現場のいきづらさの想いを、支援者や専門家にも発信していく。縦のつながり(coproduction)。

保護される人たちではない、体験という強みがある。当事者力が威力を発揮していくと思う。

 

団体:横のつながりに特化した話をしたい。「つながりましょう、ハイ分かりました」で終わらずに、各団体を知ることがすごい大事、会員になれるのだったらなりたい。お互いの当事者会に参加する。その会の自分のことのように語れるようになること。

関東ウェーブも紹介したかったらする。色んなところとつながっていきたい。やっぱり足を運ばないといけない、交流をしないといけない。

 

団体:娘さんが統合失調症で悩まれている方が娘さんのために建てたけど、みんなのためになった。

その中で連帯性が生まれる。一緒に空間で遊んでいると知り合いになれる。

就労に偏ったというよりは、楽しく活き活きやろうよという雰囲気。

障害者の権利、障害者は一般の人と同じだと、障害者として認めていく。

 

団体:傾聴とか共感、体験共有の分かち合いの共有をしている。

体験からのアプローチは非常に大事。専門的なアプローチも大事だが、両方のバランスが必要。支援者の中に当事者も積極的に混じっていく。

縦のつながり。一般市民を交えて成功した。

病状があっても人としてもリカバリーできる。病があっても幸せ。本人が人生を経験する中で、自然と芽生えてくる。心の病になったことはマイナスに捉えていない。天から訪れた試練。眼に見えないことを心で感じることができる。ありがたかったと感謝に転ずることもある。不幸だみじめでなくて精神疾患をもらってありがたい、リカバリーだと個人的に思う。

 

団体:精神障害者の孤独をなくそうというのがモットー。

単純に当事者会というだけじゃなくてオンラインとリアルのつながりを大事にしている。しいなと思っていればバーチャルの交流ができるようにしている。オンラインで盛り上がっているからリアルでも会える。人としてイベントをやっていこうかなとも思っている。健常者を交えたイベントをやろうかと思っている。

精神障害者に触れ合おうぜと。

 

団体:発達障害の会をやっている。

テレビに出ているのは本当に一部。才能もなく苦しんでいるのが大半。中高年。

法律上には制度使えるけど、発達障害の成人向けの制度はほとんどない。

生きづらいとかそこの掃き出しで終わってしまわないように。

参加者はサバイバーが多い。部屋を片づけられない。介護を受けられる。サバイバーという意味での情報。傷のなめあい、分かる分かるで終わらせるのではなくて、制度をどうこうやるという話しにも持っていきたい。

発達障害の中も分断が多い。精神は歴史が長い。発達障害は横のつながりはあるけど行政にはわからない。

nothing about us without us”。

 発達障害は自閉症の親ばかり。予算が全部自閉時の養育に行ってしまう。躁うつにも関係ある。併発しやすい。一次障害診断名が変わったり。

主催者側のノウハウの情報共有をしていきたい。

 

団体:自分が話すのと人の話しを聞くということ。

言いっぱなし、聞きっぱなしであること。対象はだれでもいい。病名はおろか立場も地域も。

会費なしでやっている。

 

団体:診断名に限らず困りごとベース。

個人的には診断名にはこだわらない。つらかったら頼ればいい

 

団体:女性だけの茶話会もやっている。定例会、双極とうつの女性のみで集うフリースペース。

雑談やったり趣味的なこと。料理、ヨガをやったり。分かち合い。躁うつ病を持ちながら生活の質を大事にする(QOL)。

 

参加者:みんなやる気があって前向きで、すごいなと思います。躁うつは裏街道を歩いているようなもの。

自分も少しでも影響されたいなと思った。

 

参加者:これだけたくさんの精神障害に関わるのはすごい。会が情熱をもってやっているのを初めて知った。自分も障害者の立場として言葉を語れるようになりたい。参加者:様々な当事者会がお越しいただいて、勉強になった。全く自分自身の活動をしていない。ウェブに来て 5 年ぐらい。自称外交官的立場としてやっている。今後当事者会同士のパイプ、橋渡し、お手伝い程度に参加できたらいい。私自身の就労の一環として、精神障害やメンヘラのお手伝いを、介護福祉の方を手掛けられたらいいなと思っています。

 

参加者:色々な会の活動を聞かせていただいて、楽しい時間を過ごせてありがとございます

 

参加者:私も数年具合が悪くて久しぶりに参加した。色々な会の方の情熱的なお話をお伺いして、少し気分ががんばろうと前向きな気持ちになったので、色々知識を教えてもらいました。ありがとうございました。

 

参加者:当事者の方々の中で活発な意見を初めて聞いた。すごい印象的だったのが、皆さんがイベントをやっている。労働以外の社会支援が必要なのではないかと頭の中で自分のイメージが浮かばないので、どういうイメージを持たれているのか聞きたい。

 

参加者:会を運営していく、取りまとめていく、非常に泥臭いこと。非常に、運営の方だけあって、力強いたくましいものを感じて、本当に来ていただいてありがとうございました。

 

参加者:東京って刺激が強い。またいい意味で強い刺激をもらったと思った。

 

参加者:遠方には躁うつ病当事者の会がないので、今日参考にさせてもらうと思ってきました。みんなし

っかりした意見を持っていると思ったけど、とりあえずは当事者同士の交流が必要だと思いました。

 

参加者:居場所にいっているけど遊び半分。運営者はいかに真剣に当事者のことを考えていると、襟を正してもらう気持ちだった。

 

参加は:お手伝いの中で、代表の皆さんのお話を聞けて、自分なりにすごいなと思ってお話を聞きました。

 

参加者:皆さんすごいことおっしゃっている。主催者の方、代表の方が多くて、ハイレベルな話が多くてついていけなかった。主催者、代表者さんはご苦労されているとすごいわかっている。

 

参加者:関東ウェーブに来たのは 6 年前。そのころはあまりない。こうやってコミュニティは増えていくんだったと思った。本日はお疲れ様でした。

 

事務局員:まだまだ話し足りなくて、横のつながり、どう考えるかとか、いろいろ詰めないといけない。

またそれぞれの会の特色を生かしていく、それも考えていく必要がある。

交流会はここで終わる。忘年会に入る。

みんな近しいとこで話ができると思うので、ぜひ活用していただきたい。