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お詫び
こんにちは。管理人のうらです。
昨日,躁うつ仲間の掲示板にスパムが来てしまった関係で,
ただいま修復作業をしていました。
が,時間の関係で一端復旧作業を休止します。
今,各掲示板上のバナーの構造が崩れていますが,本日の夜に復旧させます。
なお,掲示板自体は正常に使えます。
見苦しくなってしまって申し訳ありません。
管理人 うら 2017/06/24(Sat) 12:00 No.25802
自分から避難中
うつがひどくて、寝込んでいます。心が痛い。
死んで楽になる保証はないのに、ああ、もう死にたいなと気がつくと思っている自分。家族のこと、教会のこと、病気のこと、生きているのか死んでいるのかわからない状態でどんどん時間が過ぎていくこと、何もかも、もう嫌になりました。精神が健康なら、たいていのことは何とかなったのに。
明けない夜はないというけれど、眠れないままに夜が明けて行くのも辛いものですよね。
パンダの赤ちゃん、ニホンライチョウの赤ちゃん、ツバメ、かるがも、猫や犬の動物特集・・・生き物たちを、温かく見守る優しいニュース。わたしは生き物大好きだから嬉しく観ています。
どうして、人間は人間以外の生き物には優しいのかな。彼らのためにお金を使っても税金の無駄使いなんて言う人はいないだろう。でも、困っている人間に対しては、すぐにそういうことを言う。人って人には無情だな。
かるがもの赤ちゃんにふっと微笑むような一握りの優しさを、人間が人間に対して持てたら、自殺者も減るだろうに。
それにしても、ひどい気分です。双極2型は衝動性が高いのでとにかく頓服を飲んで「自分」から避難です。
あずさ 2017/06/22(Thu) 12:01 No.25789
あずささんへ りさ2017/06/22(Thu) 13:44 No.25790あずささんへ
おつらいですね。世の中が自分をおいてけぼりにしてまた一日を始めるようで、私も夜明けが怖いときがあります
精神が健康であれば・・・うつなんて、脳の勘違いで精神をつらくさせ、身体さえ縛り付けて、勘弁してよと言う感じです。
健康であれば、自分が望めば精神をチャレンジさせたり、逆に自分の責任で挫折もできるのに、幻想のようなものに精神を「弱く」させられて自分でその状態を変える効力さえ奪われる。もどかしいばかりです。
人間は唯一動物で自由意思があるから、チャレンジも挫折も他人と比べておたがいを素直な気持ちでうけとめられないのかもしれないですね。
その点、動物は素直にひたむきに(まあ弱肉強食でも無意識に悪気なく苦笑)自然と共に生きているから、人間がおたがいにするような決めつけや比較の目で私たちを見ないから、純粋に見守る気持ちになれるし、自分にないものに魅了されて癒されるのかもしれません。
考えてみればうつの私たちは人間のかぶりものをした動物のような気がします。上手く言えないけど、人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・
極論ですが、人は動物に目を向け学ぶと共に、うつの私たちから目を背けちゃいけないよなあなんて思います。
そんな疎外感がますます私たちをつらさへ追いやるわけだし・・・
長文失礼しました。
りさりささんへ あずさ2017/06/23(Fri) 11:31 No.25793りささんへ
メッセージ、有難うございます。
>考えてみればうつの私たちは人間のかぶりものをした動物のような気がします。上手く言えないけど、人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・
極論ですが、人は動物に目を向け学ぶと共に、うつの私たちから目を背けちゃいけないよなあなんて思います。<
面白いことを言うと思いました。(面白いは、わたしの辞書では誉め言葉です)
人間のかぶりものをした動物・・・そうかもしれないですね。
人間のかぶりもの・・・なるほどね。
>人間の虚勢をはぎ取られ、意思を一切奪われてさらされた状態というか・・・<
はぎとられ、奪われて、さらされた状態・・・
痛感します。
「JUST TO BE」
年を取れば、人間誰もが、少しずつそういう状態になって行くのかもしれないけれど、まだ若いときに、まだ多くの人が働き盛りのときにそのようになることを強いられるのが、この病気の残酷さだなと思っています。
でも、りささんが、ブログのほうに以前書いていらっしゃったことを思い出します。
『うつで、目に見える活動は出来なくても、目に見えない精神活動(内的な活動)は続いているのだ』というような内容でした。
いいことおっしゃるなあと、思いました。
本当にそうだなと思いました。深い精神活動だと思います。
自分でしようと思って出来ることではないかもしれないので、この病
気の人にだけ与えられる贈り物、明かされるいのちの秘密?
そういうすべてをはぎ取られて裸になった心の営みは、「目に見えることだけがすべて」という感じの世界に、自分では夢にも思わなかったような影響を与えたり、警鐘をならしたりしているのかもしれないと思います。
「真の人間」って何なのでしょうね?
幼なじみのお友達に会えてよかったですね。
お返事有難うございました。
うつは続いていますが、今は素直に波に身を任せる感じです。
あずさ無題 りさ2017/06/23(Fri) 17:51 No.25797あずささんへ
just to be (ありの〜ままの〜♪が頭で流れています笑)というのを読んではっとすることがありました。
若い頃は、社会と向き合い前に進むために、心を鍛えていかないといけないから、
つらかったり、ごねたかったり、爆発したかったり、ありのままの存在は心の奥の奥に押し込んで、そんなサバイバルスキルを必然的に身に着けるし、それも成長の一環かなと思います。
それができなくなった私たちは、心が裸の状態で、情けない想いだし、社会のストレスから自分を防御する鎧も、耐性を作る条件も奪われ、それもそれでつらいし、残酷だよなと思います。
弱いものも、強いものはさらに強くなれと駆り立てられる風潮で、私たちは痛みながら「裸な心」をさらしてただただ存在していることそのものが、大変な精神活動だと思います。
目を向けてくれる人には、忘れてはいけない人間の側面だ!という「贈り物」だと感じてもらえればな。
「信の人間」は、なんでしょうね。病気を乗り越え社会と向き合う強さ、たまには立ち止まって本来的な弱さと儚さと向き合う勇気、療法を持ち合わせたのが人間だと思いたいです。でもそうは全部を上手く持ち合わせていないのも人間だから、おたがいを鏡にしながら、そんな人間像を目指したいですね。
りさ